CSテクノ通信

CSテクノブログ

【第72回:矢島】ドラゴンクエスト協奏曲

 

ドラゴンクエストにはかなり深い思い出があります。

ドラゴンクエストⅠ
任天堂ファミリーコンピュータ 1986年5月27日発売(大学2年)

祖師ヶ谷大蔵駅前のおもちゃ屋さん※にて
※当時は、大手の家電ショップばかりではなく町中にファミコンを扱うおもちゃ屋さんが多数ありました。

「何か面白そうなゲーム無いかなー」
「ん?ドラゴンクエスト?」
「今、遊ぶゲームが無いから買ってみるか」

これが、ドラゴンクエストとの最初の出会いでした
何の予備知識もなく、遊び始めたら夜が明けていました(汗)

 


 

ドラゴンクエストⅡ
任天堂ファミリーコンピュータ 1987年1月26日発売(大学3年)

同じ駅前のおもちゃ屋さんにて、ガラスウィンドウに大量の箱が山積みされていました。
「えっ? 今日が発売日だったの?」
その頃は、インターネットも無く情報が本屋等の「攻略情報誌」に頼るしかなかったのです。
でも今日は、東京の下宿から実家へ帰らくてはならない日。
買いたいけれど、帰省する電車賃しかなく買うに買えない…
ダメもとで、「帰ってくるまで取っておいて頂けませんか」
今思えば奇跡としか考えられませんけれど、余程通い詰めていたのでしょうか
店長さんから一発OKが出て、身分も明かさないまま帰省しました。

1週間程で東京のおもちゃ屋さんに赴いたら
大量の箱が1個もなくなっていました。
「やばい!なくなっている!!」
焦る気持ちを抑えきれず、店員さんに
私:「先日ド…」
店:「しー」
それ以上喋るのを抑えられました。
店内には、大量の子供がわいわいがやがや
店員さんは丁寧にラッピングされた包みを奥から取り出してきて
店:「これですね ????円です」
そうです、「ガラスウィンドウに大量の箱」はあっという間に売り切れたらしく
約束していた1箱をキープ(周りにばれると不味いから中身が見えないようにラッピングしてくれたのです)
今考えると、この会話だけで成り立ってしまったので、余程顔ばれしていたのでしょうか。

 


 

ドラゴンクエストⅢ
任天堂ファミリーコンピュータ 1988年2月10日発売(大学4年)

この頃にはドラゴンクエストは社会現象となっていて、手に入れるのも難しい状況です。
それに加えて大学の卒論も書かなくてはならず、発売初日は買いに行くのを断念しました。
それでも、研究室の後輩は小田急線の始発に乗って新宿まで買いに行きました。
結果・・・始発でも買えなかったと(後輩:泣)

その日の研究室を終え、いつものおもちゃ屋さんも無いことを確認してから
「暇だからパチンコでもやろうか」(汗)
1箱位玉が出たときに「そう言えばここの店は景品にファミコンゲーム置いてあったな~」
景品交換カウンターで商品を確認してみたらあったのです!
始発でも買えない。カセットを持っている子供は襲われて奪われるという「ドラゴンクエストⅢ」が!
慌てて出玉をカウンターへもって行き景品と交換しました。
(球数が足りなければ買い足ししてでも交換する覚悟で)

翌日、後輩に向かって「控えおろ~!」(水戸黄門の印籠を出す風に)

2、3日経過後、新宿ヨドバシカメラで未だ売ってないのかな(半分勝ち誇った気分で)偵察に行ったら
店を出た直後にマイクを向けられインタビューされそうになりました。
「パチンコ屋で取りました」というのも不味いので慌てて逃げました。

大学時代にどっぷりはまったドラゴンクエストですけれど
新しいゲームを買うために今では1個も残っていません。
思い出に残しておけばよかったかな?

 


 

ゼビウス
任天堂ファミリーコンピュータ 1984年6月発売(大学?入学前?)

実は、ドラゴンクエストより前に深い思い出の1本
ファミコンの本体を買う前に「ゼビウス」が出るんだ!
ゲームセンターで何度も遊んだのでうれしくなってしまいました。
でも、未だ本体持ってないしな~
いずれ買うから先に買ってしまえ
新宿のヨドバシカメラで購入した、ファミコン第一号でした。

 

◆群馬県の技術者派遣は技術屋仕事人にお任せ下さい!!◆

◆CSテクノについて、ご質問等御座いましたらこちらからお問合せ下さい◆